『ちょっとおかしいぞ、日本人』

2003.11.19執筆、2004.1.12一部修正

 先日、と言ってももう数ヶ月前になるが、『ちょっとおかしいぞ、日本人』という本を読んだ。ちょっと古い本だけど。この本は、「日本が嫌い」という著者の個人的な感情を、「日本人は劣っている」と表現している、とんでもない本だ。
 読むほどに「ああこの人は日本が嫌いなんだな」とわかる。幼い頃からはっきりした性格で摩擦が多く、日本社会の中ではなかなか自分をわかってもらえなかった著者。アメリカに行ってみると、そこは物事をはっきり言うことを奨励する社会だった。アメリカの文化は自分の性格によく合っている。「これだ!」と思ったんでしょうかね。それでアメリカマンセーに傾いていった、と想像してみる。
 日本の文化とアメリカの文化は、確かに違う。しかしそれは、どちらが優れているわけでも劣っているわけでもない。優劣や善悪の問題ではなく、ただ「違う」だけなのだ。そこに優劣の価値基準を持ち込みたがるのは、日本人もアメリカ人も変わらないみたいだけど。
 書かれていることそのものは、たぶん事実なんだろう。でも、それを「ちょっとおかしいぞ」というのは間違っている。「おかしい」と判断する基準はどこにあるんですか? 基準の方が「おかしい」ということはないんですか? そもそも「おかしい」って何ですか?
 まぁしかし、すべて著者の主観とわかって読めば、読み物としてはなかなか面白い。「そうそう、それ私も思ってた」「言われてみればそうかも」「えー、それは違うんじゃない?」などなど、自分の考えと照らし合わせながら読んでみるべし。世の中いろいろな考えの人間がいるのだ。

 この本、おそらくもう普通の書店には置いていないだろうから、興味があれば古本屋か図書館で探してみてください。この本に対する批判記事は、『アジア雑語林2003年5月12日(21)』←このページの一番下の記事(注:バレあり)がわかりやすいと思います。

参考文献:
千葉敦子『ちょっとおかしいぞ、日本人』新潮文庫,1988

reading